禅仏教教育センター

白隠慧鶴(はくいん えかく)

貞享2年(1685)~明和5年(1768)。
江戸中期、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山と原の白隠」と謳われた、臨済宗の僧侶。
貞享2年(1685)、富士のすそ野、現在の静岡県沼津市原の地に生まれた。
「白隠」は道号、「慧鶴」は法名(ほうみょう)。法名は仏門に入った時にもらう名前であり、道号は一種の字(あざな)。禅僧の名前としては、「白隠慧鶴」のように、法名の上に道号を冠した4字の連称を用いるのが普通。
白隠は、「公案」(こうあん)を中心とした禅の修行に新風を吹きこみ、中国の影響の強かった臨済宗を日本独特の姿に変革した。体感的に理解しやすい教えを唱え、多くの修行僧を育成して臨済宗復興を成し遂げた。現在の臨済宗の禅風は白隠に始まったとされている。
公案:禅の修業上で手本となるような言句・問答・逸話

白隠は、非常に博学であったが、若い頃から書画や詩文にも優れた才能を発揮し、宗教画や動物や人物の戯画なども数多く残していて、独特の作風を見せている。
著作(語録)としては、禅の精神を平易に説いた著作のほか、呼吸法など実践的治療法を説いた「夜船閑話」(やせんかんな)などもあり、その教えは今もなお多くの人々に親しまれている。
明和5年(1768)、長年住んだ駿河の原の松蔭寺で84歳の生涯を終えた。

白隠の主要著作

  • 壁生草(いつまでぐさ)
  • 夜船閑話(やせんかんな)
  • 辺鄙以知吾(へびいちご)
  • 於仁安佐美(おにあざみ)
  • さし藻草(さしもぐさ)
  • 八重葎(やえむぐら)
  • 遠羅天釜(おらてがま)
  • 仮名葎(かなむぐら)
  • 薮柑子(やぶこうじ)
  • おたふく女郎粉引歌(おたふくじょろうこひきうた)
  • お婆々どの粉引き歌(おばばどのこひきうた)
  • 荊叢毒蘂(けいそうどくずい)
  • 槐安国語(かいあんこくご)