人権教育研究センター

学生生活と人権

丹治光浩(本学副学長・社会福祉学部教授)

 はじめに
 皆さん、こんにちは。ご紹介いただきました丹治です。今日、こうして皆さん方を花園大学にお迎えできたことを大変うれしく思っています。ところで皆さんはどのような思いをもって花園大学に入学してこられたでしょうか。夢に向かって頑張ろうと思っている人、志望通りの大学ではなくて少し後悔している人など、いろいろかと思いますが、いずれにせよ今日こうして入学されたわけですから、充実した大学生活を送っていただきたいと思っています。
今日は人権の話をさせていただくわけですが、最初に人権がなぜそんなに大事なのかについて考えてみようと思います。皆さんの人生目標は何でしょうか。お金持ちになることでしょうか。温かい家庭を築くことでしょうか。専門職として世界で活躍することでしょうか。人それぞれ目標は違うかもしれませんが、いずれにしても人間関係を抜きにして私たちは生きていくことができません。そして、一人ひとり価値観も生き方も違いますので、お互いの欲求と権利のバランスをうまくとりながら生活しなければならず、そこに人権意識の涵養が必要性があるわけです。

人権侵害とは?
配布資料の最初にどんなものが人権侵害にあたるか、特に学生が大学生活の中で出会う可能性のあるハラスメントの例を紹介しました。これらを読むと、全て当たり前のことだと思われるかもしれませんが、実際には何が人権侵害にあたって、どこまでは人権侵害にあたらないかというのは非常に難しい問題です。一つの考え方として相手が「人権を侵害された」と思えば侵害だという考え方があります。最近のいじめの定義は、この考えに立っていますね。つまり、相手はふざけていると思っていても、された側がいじめられていると思えばいじめだという考え方です。
では、こんな例はいかがでしょう。私が朝、皆さんに出会った際、「おはよう」と挨拶したとします。このとき、敏感な人だと緊張して声が出ないかもしれなせんね。もしもそんなことがあったら私はその学生の楽しい学生生活を送る権利を侵害したことになるのでしょうか。まあ、挨拶の仕方もあるかもしれなせんが、これで人権が侵害されたというのは言い過ぎなようにも思います。では、授業に遅刻した学生に対して先生が「君はまた遅刻したのか。先週も遅刻したじゃないか。こんなことでは卒業できないぞ」と言って注意したとしましょうか。そのとき、皆の前で恥をかいたことを辛く感じた学生が翌日から大学に行かなかったら、この学生はパワーハラスメントを受けたということになるでしょうか。もしもこれをパワハラだというなら先生は学生に注意一つできないじゃないかと嘆くかもしれませんが、他に注意の仕方があったでしょうと言われると微妙かもしれません。難しいですよね。
これはある意味極端な例ですが、もう少し身近な例を話しましょう。大学の授業は90分ですが、昨日まで高校生だった一年生の皆さんには慣れるまでちょっと大変で、1時間もすると集中力が途切れてついケータイをみたり、隣の人とおしゃべりしたりすることがあるかもしれません。当然先生は注意します。中には「おしゃべりをする学生は出ていきなさい」と厳しく叱る先生もいるかもしれません。このとき、学生は教室から出ていくべきでしょうか。それとも出ていく必要はないでしょうか。学生には授業中におしゃべりする権利はあるでしょうか。
中にはつまらない授業をする先生が悪いという人もいますが、常識的に考えて授業中の私語は慎むべきものです。なぜなら私語は他の学生の授業を受ける権利を侵害する可能性があるからです。
では、居眠りはどうでしょうか。グーグーといびきをかいていれば別ですが、他の人に迷惑をかけていないという点では一見問題なさそうですよね。実際、居眠りに関しては注意しない先生も少なくありません。しかし、よく考えてみるとスヤスヤ寝ていても周囲の人に迷惑をかけている可能性があるのです。たとえば、多くの学生が居眠りをしている授業風景を想像してみてください。とても学習する雰囲気とはいえないですよね。また、先生も人間ですからそんな教室では授業意欲を喪失してしまうかもしれません。つまり、見方によっては授業中の居眠りも他者の学習する権利を奪っていると言えなくもないわけです。難しいですよね。
同様に、ハラスメントの認定も難しい面があります。そこでルールを厳しくして、少しでもハラスメントに該当しそうな場合は厳しく指導することで問題を解決しようとする考え方があります。あるいは徹底的に議論することによってコンセンサスを得ようとする方法もあります。

アサーションとは?
そこで私の専門でもある心理学的手法を一つ紹介したいと思います。みなさんの手元に「アサーション・チェックリスト」があると思います。まずは、それをやっていただくことでアサーションとは何かを知っていただこうと思います。個人によって回答スピードが異なると思いますので、今回は私が質問を読み上げます。自分にあてはまる項目に○をつけてください。
1.あなたは、誰かにいい感じをもったとき、その気持ちを表現できますか。
2.あなたは、自分の長所や成し遂げたことを人に言うことができますか。
3.あなたは、自分が神経質になっていたり緊張しているとき、それを受け入れることができますか。
4.あなたは、見知らぬ人たちの会話の中に、気楽に入っていくことができますか。
5.あなたは、会話の場から立ち去ったり別れを言ったりすることができますか。
6.あなたは、自分が知らないことや分からないことがあったとき、そのことについて説明を求めることができますか。
7.あなたは、人に援助を求めることができますか。
8.あなたが、人と異なった意見や感じをもっているとき、それを表現できますか。
9.あなたは、自分が間違っているとき、それを認めることができますか。
10.あなたは、適切な批判を述べることができますか。
11.あなたは、人から誉められたとき、素直に対応できますか。
12.あなたは、あなたの行為を批判されたとき、受け応えできますか。
13.あなたは、あなたに対する不当な要求を拒むことができますか。
14.あなたは、長電話や長話のとき、自分から話を切る提案をすることができますか。
15.あなたは、あなたの話に割り込んで話し始めた人に、そのことを言えますか。
16.あなたは、パーティや催し物への招待を受けたり断ったりできますか。
17.あなたは、押し売りを断れますか。
18.あなたは、あなたが注文した通りのもの(料理や洋服など)が来なかったとき、そのことを言って交渉できますか。
19.あなたは、あなたに対する人の行為がわずらわしいとき、断ることができますか。
20.あなたは、援助や助言を求められたとき、必要に応じて断ることができますか。
さて、いくつの項目に○がついたでしょうか。9個以下の人はどのくらいいますか。少ないですね。では、15個以上の人はいますか。これもさすがに少ないですね。では、18個、19個の人。すばらしいですね。その人たちはしっかりと自分の気持ちを相手に伝えることができる人です。このように必要に応じてしっかりと自己主張することをアサーション(assertion)といいます。
ただし、この言葉の背景には、単に自分の気持ちを主張するだけではなく、「相手の気持ちにも配慮しながら」という相互尊重の精神が含まれています。多民族国家であるアメリカ社会では、さまざまな価値観がぶつかり合うことが多く、自分の考えをしっかりと主張しないと生きていけないわけです。しかし、単に自己主張するだけでは喧嘩になってしまします。そこで、喧嘩にならないような自己主張の方法としてアサーション技法が生まれたわけです。

合理的信念と非合理的信念
人間関係には3つのタイプがあるといわれています。一つ目は攻撃的な態度で、相手の言い分を無視して自分の考えを一方的に押しつけるタイプで、たとえばレストランで注文したものと違うものがでてくると「この店はどうなってるんだ。店長を呼んで来い」などと店員に怒鳴るタイプです。一方、注文したものと違うものが出てきても「まあ、これでもいいか」とそのまま食べるタイプの人がいます。これをノンアサーティブ(非主張)タイプと呼びます。前者の場合は、互いに傷ついてしまい、結果的にウィン・ウィンの関係になれません。これでは社会生活はうまくいきませんね。一方、後者の場合は、とりあえずトラブルはおきませんが、こちらに不満が残ります。
そこで、第3のタイプとしてアサーティブな態度が望まれるわけです。ところが、これがそう簡単にはできないのが現状かと思います。アサーティブになれない理由としては、まず自分で自分の気持ちがわからないことがあげられます。自分の気持ちがわからなければ当然それを表現することはできません。花園大学の建学の精神である禅の言葉を借りれば「己事究明」が大事ということになるでしょうか。己事究明とは簡単に言うと己を知るということ、つまり自己理解のことです。
2番目の理由としては、結果や周囲を気にしすぎることがあげられます。ホントは言いたいことがあるのに、相手に遠慮して主張しないわけです。3番目の理由は、自分の気持ちを伝えることが一つの権利であることを知らないということです。皆さんには自分の気持ちを相手に伝える権利があります。もちろん、相手にもあります。「相手は私よりえらい人なので私なんかが意見をいうべきではない」などと考えていては当然アサーションできません。そして、最後がアサーションの方法を知らない場合です。何事もそうですが、やり方がわからなければできるわけがありません。
そこで必要になるのがアサーション・トレーニングということになるのですが、その前に、非合理的信念についてお話します。これも簡単なチェックリストを用意したので一緒にやってみましょう。非常にあてはまる場合の5~全く当てはまらない場合の1までの5段階で答えてください。
1.自分のすることは人に認められなければならない。
2.人は有能であり、業績を上げなければならない。
3.人の行いを改めさせるためにはエネルギーと時間を費やさなければならない。             
4.人を傷つけるのはよくない。
5.危険や害がありそうなときは心配する。
6.人は他者から好かれなければならない。
7.どんな仕事でも完全にやらなければならない。
8.人が失敗したり愚かな行動をしたとき、頭にくるのは当然である。
9.人が間違ったり悪いことをしたときには非難するべきだ。
10.危険が起きそうなとき、心配すればそれを避けることができる。
資料に挙げた非合理的信念の例は、チェックリストの10問と対応しています。非合理的信念の「人は誰からも愛され、受け入れられなければならない」はチェックリストの1番と6番。「人は完全を期すべきで、失敗をしてはならない」はチェックリストの2番と7番。「思い通りに事が運ばないのは致命的だ」という信念はチェックリストの3番と8番。「人を傷つける人は責められるべきである」という信念はチェックリストの4番と9番。「危険なものは不安を呼び起こし、何もできなくなる」という信念はチェックリストの5番と10番に該当します。
信念には合理的信念と非合理的信念の2種類があります。生きていくのに支障がなく、誰もが心地よく生活できる信念を合理的信念、生活に支障をきたす可能性がある信念を非合理的信念といいます。みなさんは、資料にあげた非合理的信念の例をみて、どう思われるでしょうか。これのどこが非合理的なのかと不思議に思いませんか。もちろん「人に好かれてはいけない」ということはありません。しかし、「そうあらねばならない」と思うと生活しづらくなるのです。
たとえば「失敗してはいけない」と思っている人がいたとします。でも人間は必ずいつか失敗します。失敗しない人はいません。失敗していけないのに、失敗すると多くの人は自己否定的になります。「受験に失敗して落ちてしまった」とか「友だちとの約束を守れなかった」とかいろいろあると思いますが、極端な場合、自分はどうせ何やってもだめだという考えに苛まれるわけです。しかし、実際にはそんなことはありませんよね。たとえ大学に入学できなかったとしても、友だちとの約束を守らなかったとしても、いくらでもやり直すことはできるのです。そういった意味では、「時間を守らなければいけない」、「健康であらねばならない」といった考えもすべて非合理的信念といえるわけです。

アサーション・トレーニング
次にアサーション権の例をみていただきましょう。この中に「自己主張をする権利と同時に自己主張をしない権利もある」という文章があります(アサーション権の4)。私が以前勤めていた病院では、意見があるのにそれを言わないのはよくないといわれ、しっかり自分の意見を言えない消極的な私は自分のことをずっとダメ人間だと思っていました。ところが花園大学にきた時に、ある先生から「意見を言うか言わないかは個人の自由だよ」と言われてびっくりしたことがあります。「自分には意見を言わない権利もあるんだ」と思うととても気が楽になりました。そして不思議なことにそう思うと逆に意見がいえるようになったのです。このように、自己主張をしない権利はとても大事な権利だと私は思っています。レストランで注文したものと違うものがきた時に主張する権利もありますが、しない権利もあるのです。それがアサーションの本質です。
という前提のもとでアサーション・トレーニング法を一つ紹介しましょう。describe、explain(empathize)、specify、chooseの頭文字をとってDESCというのですが、まずは、現在の状況を客観的に描写、つまりdescribeします。たとえば「私は今、食堂に来ていて、カレーを頼んだのにハヤシライスがきてしまった」といったことが挙げられます。次に相手の気持ちに共感し(empathize)、自分の気持ちを説明します(explain)。これがEです。「店員さんは忙しかったのかもしれないし、私もはっきり言わなかったので聞き取れなかったのかもしれない。あるいは、作る人が間違えたかもしれない」ということになるでしょうか。そこで、「私のいい方がちょっと聞き取りにくかったかもしれませんが・・・」と相手の立場に立って一言付け加えるのです。そういわれたら相手も悪い気はしないので戦いモードにはなりません。そして、「いや私はカレーライスといったつもりですけど、カレーライスに変えてくれませんか」と自分の主張をするのです(specify)。いきなり「責任者呼んでこい」より、はるかにうまくいく可能性がありますよね。もちろん、新しく作り直してもらえることもあるでしょうし、「お客さんは確かにメニューのハヤシライスを指さされましたよ」と言われるかもしれません。店員さんが「すぐに作り直します」といえば「ありがとうございます」といえばいいですし、期待した返事がない場合は何らかの妥協案を示していくのがchooseです。
以上のことをトレーニングとしていろんな場面でやっていきます。電車の中で隣に座っている人が携帯電話をし始めた場合、友だちから不本意な誘いを受けた場合など、いろいろ場面が想定されますよね。これは、実際にいわなくても頭の中でイメージするだけでも効果があるといわれていますので、みなさんもぜひ試みてください。

さいごに
以上、いろいろ話しましたが、結局のところ正解がるわけではありません。いろいろな価値観がぶつかりあう現代社会の中で互いに理解しあうためには、徹底的に考えるしかないのではないでしょうか。ちょっと前に「明日ママがいない」という児童養護施設を舞台にしたテレビドラマがありました。かなり批判もありましたが、結局最後まで放送されました。その最終回で施設長の佐々木(三上博史)が主人公のポスト(芦田愛菜)と会話する場面がありました。ポストが「手放された子どもはつらいよね」と語りかけると、佐々木は「手放した親も後悔して生きなくちゃならない」と言い、 「どうしたらいいのかな」という問いには「それを考える。ずっと考える」と応えます。そして、ポストが 「私も考える」と言い、佐々木が「みんなで考えるんだ」言う場面でエンディングを迎えました。そう簡単に結論なんか出ないし、ずっと考え続けることがもしかしたら一番大事なことなのかもしれません。
ということで私の今日の話を終わらせていただきます。最後までご静聴いただき、ありがとうございました。

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