人権教育研究センター

第31回花園大学人権週間 講演3

小林敏昭さん(前「そよ風のように街に出よう」副編集長)

小林敏昭

◆プロフィール◆
こばやし・としあき
学生時代に日本脳性マヒ者協会青い芝の会の障害者たちと出会い、「健常者中心社会」の差別性に気づかされる。以後、障害者問題を世に問う活動をライフワークとし、1979年に創刊した障害者問題総合誌『そよ風のように街に出よう』の副編集長として、今年夏に終刊するまでの38年間編集に携わる。

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障害者問題、津久井やまゆり園の事件をうけて

藤井 渉

小林敏昭さんは38年もの間、障害者運動に携わってこられ、『そよ風のように街に出よう』という大変有名な雑誌を手がけるなど、障害者問題資料センターりぼん社を通じて社会に積極的な働きかけを実践してこられました。同時に、非常に幅広く、そして思慮深い分析的かつ哲学的な眼を持たれ、障害者の問題だけでなく、より普遍的な問いかけを繰り返し社会に投げかけてこられました。また、本学にも非常勤講師として教鞭に立たれ、紳士なお姿と姿勢も学生に評判です。その小林さんがこのたび花園大学人権週間のご講演でテーマになさるのが、津久井やまゆり園の事件です。ここでは、その事件の概要に触れながら、小林さんのご講演について紹介していきたいと思います。

●障害者問題と津久井やまゆり園の事件
 津久井やまゆり園の殺傷事件から1年と1日前、毎日新聞では次のような記事が掲載されました。それは、津久井やまゆり園の殺傷事件で犠牲になった方々の「横顔」というテーマで、性別、年齢を先頭にどんな人柄だったのか、好きなこと、趣味、楽しみなどが生彩に記されていたものです。
 例えば「ディズニーランドが好き」、「囲碁や将棋が好き」、「リーダー的な存在」、「可愛らしい笑顔」、「ソーラン節を歌うと喜んでくれた」、「リボンがとても好き」、「野球や電車が好き」、「車掌さんのまねをよくしていた」、「他の利用者を気にかけてくれる」、「ムードメイカー」、「誰とでも仲が良かった」といった言葉が並びます。
 この記事から強いメッセージ性を感じる一方で、その裏腹にある、当事者の立場が軽んじられてきた背景を痛感せざるを得ません。というのは、これまで事件では障害者という言葉だけが一人歩きし、犠牲になった方々の生身の人間の姿や声は無視され続けてきたという、ある種の二重の残虐さが内包されているからです。
 事件をめぐる報道では、殺害された、あるいは被害に遭われた方々の個人名はもちろん、姿、出身、人柄といった、私たちと同じ人間が殺害されたことを実感する手がかりが隠されてしまいました。そのため、日本社会がこの事件に向き合うための諸条件が余りにも劣悪な状態にあります。そして、いまだに当事者の方々の声はもちろん、生活の様子すらまったく聞こえてきません。いったいなぜ隠されてしまうのでしょうか。
 小林さんは障害者運動のなかで、地域に住む障害者宅を訪問する活動を丹念になさってきました。そこで直面したのが、自宅に訪問しても家族が本人の存在を隠そうと立ちはだかり、本人にあうことすらままならない事態でした。今回のやまゆり園での事件でも、匿名報道を求めたのは家族です。障害者運動の過去を見つめると、今回の匿名報道の問題は、実はきわめて重大な障害者問題の集積を物語るものでもあったのです。これについて、小林さんはさまざまなメッセージを伝えようとなさっています。

●障害者運動の役割と課題とは
 また、事件をめぐり、障害者運動ではどう捉え、働きかけをしていくべきなのでしょうか。
 そもそも小林さんが障害者運動に携わるようになったきっかけをお聞きすると、当時、障害当事者が積極的に社会にアピールし、働きかけを行っていた青い芝運動に触れたことを挙げておられました。青い芝運動を通して障害者とつきあい、直に接したことで、自分と違う人、人と違う人の存在がどれだけ必要で、大事なのか、それを実感したといいます。多様性をどう認め合うのか、いまの自分をありのまま認めるということ、そしてそのために社会に目を向け、問うていくきっかけを得たとのことです。
 それは個人のあり方について社会的に考えることであり、障害の社会モデルの思考そのものであり、障害の社会モデルは青い芝運動が問うてきたこと、そして積み上げてきた成果でもあります。社会的に考えるという思考や、障害の社会モデルでやまゆり園の事件を捉えたとき、小林さんは、事件が起こるまでに表面には現れず、しかし底流に流れていた差別問題をつぶさに捉える必要があり、事件はそれが可視化されたものと認識すべきだと指摘します。そしてその視点から、社会批判だけでなく、差別・抑圧からの解放を働きかけてきた障害者運動側の限界をも捉えるべきだとします。
 では、障害者運動側の限界とはいったい何なのでしょうか。歴史的にはやまゆり園の「事件後」となってしまった現在を小林さんはどう認識され、そして「これから」に向けて障害者運動をどう積み重ねていくべきだとお考えなのでしょうか。それを聞き、私たちは何をすべきなのでしょうか。小林さんのご講演は、ある意味、これまでの障害者運動を総括なさるものであり、そして小林さんのご講演に参加することは、私たち自身が「これから」の社会をつくりかえていく具体的な実践の一歩でもあるように思います。

●ご講演の予備知識として
 そのための予備知識として、事件をめぐり、どのような論議があるのかを少しご紹介できればと思います。
 少し荒い整理になるかも知れませんし、論者によって大きく異なるでしょうが、筆者なりに事件をめぐる論議を図式化してみると、例えば次のようになるかと思います。
 それは、事件発生に対する認識の対立、つまり事件は偶発的で個人的な要因によるものなのか、それとも必然的で社会的なものなのかという認識の違いが指摘できると思います。それを縦軸とした場合、さらに横軸を設定するとすれば、事件発生からちょうど半年後に生じた、施設立て替えをめぐる是非が挙げられるかと思います。
 政府は「再発防止」として措置制度の仕組みの改変を進めてきました。事件を起こした者が措置制度に絡んでいたことに着目し、その制度的な不備を主張しているのです。筆者なりに政府の歴史的な姿勢を踏まえながらその論理を読み解くと、どうも政府は事件の要因を精神障害者による特異的な事件として認識し、今後その対象となるような者を管理、あるいは監視を強化する意図が働いているものと思われます。だからこそ、事件が発生した社会要因はあまり問題とせず、自治体行政も何の疑いもなく施設をそのまま建て替えるという発想に帰着したと思います。結果として、監視カメラを設置しながら外部との遮断をより強化させる恐れすら考えられます。政府がいう「再発防止」とは、結局は治安対策という言葉にそっくりそのまま置き換えられるのかも知れません。(ただし、後に挙げるようにさまざまな批判が起こり、いま自治体行政は建て替えに対する姿勢が少し変わってきているようです。)
 多くのマスコミはこの流れに乗っかり、障害者による特異な事件として認識する報道が目立ち、政府の方針を補強しているかのようです。事件を報道するネット記事のコメント欄やSNSに目を向けると、同情的、あるいはかわいそうといった目線での発言が目立ち、「異常者が起こしたものでそれを懲らしめる」「取り締まるべき」との不安を訴える声、そして建て替えについては「税金がもったいない」との声が容赦なく並べたてられている姿すら見られます。
 反対に、障害者運動では政府の対応は事件の重大な矮小化である、と主張する論理が展開されています。事件の要因を丁寧に考えていくと、そこにはいくつもの必然性を捉えることができるからです。
 例えば、障害者と健常者が分断され、差別問題がいまだ厳然と存在すること、その一因として分離教育によって障害者が地域社会や健常者の前から遠ざけられてきたこと、「保護」の名目で地域から隔離された場で大人数での処遇が公然と行われてきたこと、犯行に及んだ者が福祉の仕事に対する意義や本人たちの尊厳が認識できなかったこと、その背後にある貧弱な障害者観の問題、そして極めて脆弱な障害者福祉施策の問題など、そもそも障害者の存在が蔑ろにされ、大事にされてこなかった背景が指摘されています。事件の背後には障害者に対する社会的排除の問題が横たわっており、そこにメスを入れていかない限り同じような事件は起こってしまう、だから建て替えに対しても、地域社会で人間らしく住めるように整備を優先させるべきとの主張がなされている訳です。
 さらに論点を深め、なぜ障害者が殺害されなければならなかったのか、というところに焦点を当てていくと、「役に立つ・立たない」という人間の尊厳の問題、命の選別、あるいは命の価値論といった「生きるに値するか」という問題にまで行き着きます。そこで必ずと言って良いほど取り上げられるのが優生思想の問題であり、かつて「障害者は生きるに値しない」とされ、ナチス・ドイツのもと7万人以上が虐殺されたT4計画です。小林さんはこのような優生思想についても思慮を重ね、私たちはどのように向き合うべきかについても示唆を与えてくれようとしています。

 やまゆり園の事件とは何だったのか、政府はそれを特異的な事件として片付けようとしています。しかし、やまゆり園の凄惨な事件は、一人一人の死の現象を社会のなかでどう認識できるのか、その背景や背後に広がっている無限の事実や思いをどうくみ取ることが出来るのか、その想像力や思考能力、知恵が試されているように思います。
 事件の被害者の方々や、いま同じような立場に置かれている方々にとっての「これから」を切り拓くには、この事件について徹底的に叡智を動員し、人権をベースにあらゆる視点から教訓を洗い出す必要があるかと思います。そのための契機としても、ぜひ小林敏昭さんの講演に足を運んでいただければと思います。

※小林敏昭さんの論文や記事などはネットで読むことができます。「りぼん社」で検索すると「そよ風のように街に出よう 編集部の公式サイト」が見つかります。そこに小林副編集長の部屋というページがあります。ぜひご覧ください。

(ふじい・わたる=人権研センター研究員・社会福祉学部准教授)

 

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