人権教育研究センター

第31回花園大学人権週間 前夜祭

「この世界」に没入する幸せと危うさ

師 茂樹 

  本作品は、広島県出身のマンガ家・こうの史代(ふみよ)氏の同名のマンガを、片渕(かたぶち)須直(すなお)監督がアニメーション化したものである。製作費をクラウド・ファンディング(インターネット上で不特定多数の人々から資金を調達すること)によって調達し、公開当初は館数も限られていたマイナー作品であった。京都でも最初は、京都市と向日市の境にあるイオンモール京都桂川内の映画館でしか上映されておらず、その後も京都みなみ会館(南区)、立誠シネマ(中京区)のようなミニシアターでしか上映されていなかった。しかし、全国的に徐々に評判が広がり、現在では世界五十カ国以上で上映され、最近発売されたブルーレイ・DVDも有名ネット通販サイトで一位を獲得するなど、異例の大ヒットとなっている。
 この作品がなぜ大ヒットとなったのか、アニメーションや映画の専門家でもない筆者がその理由をここでくだくだしく述べるよりも、作品を観るのが一番手っ取り早いだろうと思う。実際筆者は、知人からこの映画の評判を聞き、イオンモール京都桂川まで足を運んで鑑賞した際、作品に強くのめり込んでしまったためか、しばらくのあいだちょっとしたショック状態(何でもないときに涙がでてしまう)のようになった。それぐらいの作品なので、わざわざ筆者の拙い筆で魅力を説明しようとしても仕方がない気がする。しかし、この作品を人権週間の前夜祭で上映するにあたって、なぜこの作品がそれにふさわしいのかについては、推薦をした筆者に説明をする責があろう。ここでは、その点にしぼりながら、これから観る方々の興を削がない程度に紹介ができればと思う。
 本作品は、昭和八年頃から終戦直後までの広島県が舞台である。主人公・すずは、広島市で生まれ育ち、昭和十九年に十八歳で呉市に嫁いだ。呉市は軍港であり、第二次大戦中には何度も空襲に襲われた地域である。また、言うまでもなく、すずの実家がある広島市には、昭和二十年八月六日に原子爆弾が投下されている。
本作品(そして原作のマンガ)では、徹底した時代考証がなされており、アニメーションでありながら実写映画以上に「リアル」であると思わされるシーンも少なくない。片渕監督は談話のなかで「当時の町並みに関する写真や文字資料はできるだけ集めました。……現存する建物や橋などがあれば、なるべくそれを映画の中に取り込むようにしました。現在も手に触れられるものがあるということは、現地でその建物に触れた時「すずさんもこれを触ったんだ」と思えるということ。それを通じて、より肉体的な存在感がすずさんに備わってくるんです」(参考文献四八頁)と述べている。作中の何気ない背景であっても、当時の風景を写した古写真等をもとに描かれているので、背景の一部として描かれている人物は実在した誰々である、と特定できる場合も少なくないという。このようなリアリティを生み出す手法が数多く仕掛けられた作品のなかに、観ているものは徐々に没入していき、いつしか「この世界」が実在するかのような錯覚をおぼえてくる。
 主人公・すずは、子どもの頃から家内産業(海苔梳き)の労働力として、放課後には仕事に携わっている。真冬の海水に素手をさらすような、現代人から見れば過酷な労働であるが、それがネガティブに描かれることはない。また、十八歳になると、自分の意志と関係なく、会ったこともない家に嫁入りさせられ、そこでも労働力として働き続ける。これまた女性の人権という現代的な観点から見れば、前時代的にも思える扱いである。そして戦争が激化すれば、国家が言うままに地域の人々と様々な活動に参加し、大げさに言えば戦時体制の一角を担う。空襲時に様々な色の砲煙が飛び交えば、(自分にそれが向かってこない状況においては)それを美しいとも思ったりする。そのような戦前・戦中の日常が淡々と、時にはコミカルに描かれる。
 本作品には、ありがちなドラマに出てくる、女性の理不尽な扱いに疑問を持ったり、戦争の不条理を嘆いたりするような人物は登場しない。すずは、戦前の風習、戦時下の体制に何の疑問も抱かず(当時の人が当時の状況に疑問を抱かないのは至極当然である)、ただその時その時の状況のなかで、身の回りの幸せを願いながら生きている。そして、この時代の女性や子どもの人権のなさ、戦争の非人道性について知っているはずの(すずから見れば)未来に生きる私たちもまた、先に述べたようなリアリティの技法にからめとられて、いつの間にかすずと同じ「この世界」に生き、すずと同じ感覚で「この世界」を受け入れるようになる。すずとともに悩み、すずとともに小さな幸せを喜ぶようになるのである。作品世界に没入できるのは、映画の体験として、何と幸福なことであろう。そして、それこそが、マンガと映画両方に共通するこの作品の狙いであることに、作品終盤に思い知らされることになる。
 本稿執筆現在(二〇一七年九月)、朝鮮半島を中心に軍事的な緊張が高まってきている。学生の皆さんに「戦争が始まったらどうする?」と聞くと、「逃げる」「自衛隊がんばれ」などの様々な意見が返ってくる。また、それに加えて戦争に対する反対意見あるいは賛成意見を論評したりもする。いずれの場合も、自分が戦争に巻き込まれることはない、世界で起きていることを自分は拒否できる、という確信のようなものが感じ取れる。このように言う筆者もまた、いつか自分が戦争に参加するかもしれない、という実感などほとんど持っていない。
 これからどうなるかはわからないが、歴史をふりかえるならば、私たちの祖先や先輩たちは、懸命に自分たちの人生を生きながら、誰も逃げることなく、また他人に戦闘を委ねることなく、当たり前のように戦争に加担していった――この作品の登場人物たちのように。もし私たちがこのアニメーション映画を観ているあいだ、作品世界に没入し、鑑賞後もすずたちに寄り添って生きた体験だけが心に残ったとすれば、それは私たちにとって大きな教訓となるだろう。何かの過ちで戦前のような状況になったとき、私たちはすずと同じように、戦争に突入していく「世界」を当たり前のものと受け入れ、戦争に参加することを当然のことと思い、そしてそのなかでひたむきに暮らしていくかもしれない。この作品での体験は、これから変わっていくであろう「世界」のなかで、私たちがどのような視点を持てるかを試す試金石のようなものなのである。
 なお、もし機会があれば、本作品とともに原作のマンガも読むことをおすすめしたい。映画には盛り込まれなかった重要なエピソードがあり、作品全体をより深く理解するための助けとなるであろう。また、先に述べたように本作品では綿密な時代考証が行われているが、作中ではその結果を逐一強調したり、具体的に説明したりすることはない。現代人である私たちにはわからないような風習や情景、そして登場人物たちの行動が、何の説明もなしに描かれているのである(たとえば、ある時点から作中の家屋の天井板が外されているが、それにも時代背景がある)。したがって、戦前・戦中の歴史や風俗を学ぶことは、本作を玩味するうえでも――さらに言えば、人権について考えるための知識を得るうえでも――おすすめしたいことの一つである。
 皆さんが作品を楽しむとともに、何かを知るためのきっかけになれば、推薦者として望外の喜びである。

〈参考文献〉『この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック』(双葉社、二〇一六年)

(もろ・しげき=文学部教授)

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