人権教育研究センター

第27回花園大学人権週間 前夜祭

映画『みえない雲』
(グレゴール・シュニッツラー監督作品、ドイツ・2006年)

八木 晃介

 福島第一原発事故からまもなく三年になろうとしているのに、状況は何ひとつ改善されていません。にもかかわらず、この国の政府と財界は、この事故を人々の記憶から消し去ろう、忘れさせようという作戦をたてているように見えます。
 いまなお15万人以上の人々がほとんど展望のない避難生活を余儀されています(京都でも2013年8月現在、 673人が避難生活を続けておられます)。高濃度の放射能汚染がつづき、その収束の目途がたたない以上、帰宅の見込みもたちようがありません。人々は経済生活のみならず、精神生活においても窮状に追い込まれているのが現実です。
 そもそも原発事故の真の原因さえ特定されていません。政府や東電はもっぱら津波に原因を求めようとしていますが、良心的な科学者たちは地震原因説にたっています。仮に地震が“真犯人”であることが証明されれば、この地震列島国に原発をつくる余地がなくなるので、原発推進論者は必死で津波説にしがみつくわけです。だからこそ東電は国会事故調による現地調査を妨害したのです。
 原因が分からないだけでなく、たとえばメルトダウンした炉心がどこにあるのか、格納容器にとどまっているのか、想像するだに恐ろしいことながら、格納容器をさえ突き破って外部に出てしまっているのか、この根本的に重要で深刻な事態さえいまだに解明されていません。山側から流れる地下水が原発の下を通って放射能に汚染され、そのまま海に流れ出ていることはすでに公表済みですが、地下水が格納容器をさえ突き破った炉心に接触
していないという保障もありません。汚染水の貯蔵タンクからも今も毎日大量の水が洩れ出していますが、このような初歩的な問題をさえ“想定外”としてきた政府や電力会社に、人智では操作不能の原発を制御できるわけがないのです。ましてや使用済み核燃料の処理方法さえ世界中どこにもないのです。
 原発事故による放射線の影響を調べている福島県の「県民健康管理調査」検討委員会は2013年8月、甲状腺がんと診断が「確定」した子どもは、前回6月の12人から6人増え、18人になったと報告しました。それ以外に「がんの疑い」が25人(前回は15人)にも達していました。一般に子どもの甲状腺がんの自然発症率は人口10万人あたり年間0・05~0・1人とされていますから、約20万人が検診を受けた福島の場合、90倍から 180倍の高い発症率となっているのですが、それでも専門家は「原発事故との関連はうすい」と主張しています。この“専門家”を私たちは信用していいのかどうか。
 にもかかわらず、この国の政財界はなおも原発の“安全神話”にしがみつき、今後もこの国に原発を新増設する方針であるばかりか、海外に原発を輸出すべく、安倍首相自身がセールスマンよろしく世界をかけめぐっています。本当に恥ずかしいことです。それにひきかえ、安倍首相と同様に保守系のメルケル・ドイツ首相は、「原発は倫理的ではない」と2022年までにすべての原発を廃止することをきめました。ドイツでは、原発事故を引き起こした日本が何故に原発に回帰するのかという疑問が沸き上がっています。
 さて、まえおきが長くなりましたが、原発事故を風化させず、多くの被害者の想いを共有するために、今年度の花園大学人権週間では前夜祭(12月9日・自適館 300番教室)で映画『みえない雲』を上映することになりました。
 この作品は、作家グールドン・パウゼヴァングが1987年に発表した同名の小説を映画化したものです。その前年1986年にはチェルノブイリ原発事故が発生し、ドイツも放射能汚染におののく近隣国であったことも作用して、この小説はおおいなるセンセーションを巻き起こしました。このチェルノブイリ原発事故から20年目の2006年に映画化されたものですが、福島原発事故を経験した私たちにも切実な問題を提起しているとおもいます。
 といっても決して堅苦しい映画ではありません。恋愛映画でもあればパニック映画でもあって娯楽的要素もおおい。主人公として焦点があてられるのはひとりの少女。恋にときめく事故前のささやかな暮らしも、被曝し、すべてが一変するその後の生活も、物語はこの少女ハンナに寄り添い続け、身近な悲劇性を訴えるとともに、明日への希望も託すというものです。全面的に福島事故と重なるものではありませんし、映画自体は完全にフィク
ションではありますが、しかし、ひとたび原発事故がおきれば(原発があるかぎり、事故発生の確率は絶対にゼロにはなりません)、世界がどのように変動するのか、今一度、この映画を合わせ鏡にして考えあいたいとおもいます。

(やぎ・こうすけ=人権研センター前所長・文学部教授)

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