日本文学科

『花園大学国文学会会報』 VOL.25(2004(平成16)年 6月 1日発行)

編集・発行 花園大学国文学会

「「エライさん」 のこと」 国文学科主任 橋本 行洋(本学助教授)

皆様こんにちは。 このたび、 「国文学科主任」 というエライ役に就任致しました橋本行洋 (ハシモトユキヒロ) でございます。 国文学科の主任なんて、 実は大したことのない役職なのですが、 私はむかしからどうも 「主」 とか 「長」 の付くものが苦手です。 自分がそういう役に付くのはもちろん、 そういう肩書きを持つエライ人物に接しても、 なんかこう、 「おれさまは〈主〉であるぞ。〈長〉であるぞ。 エライんだぞ。 文句言うなら手討ちにするぞ」 と言われているようで、 萎縮してしまうのです。 一方たまに、 (方便ではなくて) <本当>にしかたなく無理やり 「エライ人」 をやらされている人に会うと、 逆にものすごい親近感を持って 「心の友よ!」 と叫びたくなったりします。
ところで、 この 「エライ」 ということばですが、 「偉大だ」 「立派だ」 という意味のほかに、 ご承知の通り、 現在でも関西の方言などで 「エライこっちゃ」 のように、 多くは悪い評価で 「大変だ」 「ひどい」 という程度のはなはだしさを表すのに用いられています。 ふつう、 ことばの意味は具体的意味から抽象的意味へと変化することが多いのですが、 増井典夫という方の研究によると、 「エライ」 の場合はそれとは逆に、 「大変だ」 「ひどい」 という程度を表す抽象的意味が古く、 そこから 「偉大だ」 「立派だ」 という対象のありさまを示す具体的意味が派生したということです。 そうだとすると、 エライというのはもともと悪いニュアンスを持つことばであった可能性が考えられます。 つまり、 「エライ人」 というのは、 無理やりその原義を当てはめて解釈すると、 その人に接する際に 「うわっ、 エライこっちゃ」 と思わせるような人物のことになり、 それが妙に現状と符合していて思わず苦笑してしまいます。 関西の方言にはまた、 「エライさん」 ということばがありますが、 これはどちらかというと、 やや軽蔑のニュアンスを込めて使われることの多いことばです。 このあたりに 「エライ」 本来の意味が息づいているようで、 「味のあることばだなぁ」 と感心してしまいます。
申し遅れましたが、 私の専門は国語史学で、 語彙や表記の歴史を研究しております。 もちろん大学内でも学界においても、 「エライさん」 ではありません。

「僕は 「かん」 でない。 「ひろし」 や」玉岡 兼治(聖カタリナ大学附属図書館 (1981年度卒業生))

文藝春秋社を作り、 芥川龍之介賞・直木三十五賞を創設した菊池寛は、 「きくちかん」 と呼ぶ人がほとんどではないだろうか。 現に、 この原稿を打つにあたって使用しているワープロソフトも、 「きくちかん」 と入力すると、 「菊池寛」 と変換されるのだけど、 試しに 「きくちひろし」 と入力してみても、 「それは誰?」 といった風情で、 変換してくれない。 しかし、 作家の 「菊池寛」 の名前の読みは、 「きくちかん」 では間違いであって、 「きくちひろし」 が正しい。
実は、 母方の祖母の一番上の兄と、 菊池寛が旧制の高松中学で同級生だった。 そんな訳で、 彼が我が家によく遊びにきたらしい。 ある年の夏休み、 遊びに来た寛に、 祖母の母が 「かんさん、 西瓜たんまぁせ。」 (西瓜食べなさい。) と出したところ、 彼は 「僕は、 かんでやない。 ひろしで。」 と言下に言ったそうな。 それをまだ幼かった私の祖母が横で聞いていた。 そのことは重要な記憶となって彼女の脳裏に刻まれたようだ。 我が家では、 菊池寛の名前が出るたびに、 何度も祖母が 「あの人はかん、 でないんで。 ひろしで。」 と、 話していたのを私は覚えている。
私は昨年百枚ほどの小説を書いた。 それを地元の文学賞である香川菊池寛賞に応募してみたら、 望外にも奨励賞をいただくことになってしまった。
授賞式の挨拶で、 私は祖母からの申し送り通り 「このたびは、 栄誉あるかがわきくちひろししょうを頂きまして・・・」 と申し上げた。 授賞式には、 菊池寛の長男茂樹氏も列席されていて、 式後、 寛の名前の話になった。 寛は、 あまりにも 「かん」 と呼ぶ人が多くて、 とうとう最後には 「かん」 でも許した、 という話を聞いた。 はてさて、 きくちひろし、 と呼ばれた 「かん」 さん、 草葉の陰で一体どんな顔をしていたのだろう。

「新聞記者として早くも 2ヵ月」 平井 俊行 (2003年度卒業生)

友人や後輩たちと別れを惜しみながら卒業してから、 早くも 2ヵ月が過ぎようとしています。 緊張で足が震えた入社式や 2週間にわたる東京と大阪での研修も終え、 この春から毎日新聞社の点字毎日部というところで、 点字新聞の記者として社会人生活をスタートさせました。 初めての点字に、 初めての締め切り生活など、 何もかも初めての生活はまさに未知との遭遇の連続といった感じです。
先日、 初めての取材に向かう途中のJR嵯峨野線の車内で、 何人かの花園大学の学生たちがおしゃべりに花を咲かせている光景を目にしました。 思えば、 ほんの少し前までは私も彼らのうちの一人であったのが、 今やバッグにメモ帳や取材の資料を詰め込んで、 カメラを抱えて記事を書く身です。 どう取材すれば良いものか。 やってくる不安と緊張でたまらず外の景色を眺めると、 そこには 4年間通い慣れた、 懐かしの花園大学のグラウンドや建物が見えてきました。 一瞬のうちに電車は通り過ぎていきましたが、 なぜか不思議と今までの緊張が少しほぐれ、 無事に取材を終えることができました。
思えば、 私は熱心な新聞読者でもなく、 新聞記者になろうと考えたことも今までありませんでした。 学生時代から障害者バスケットボールサークルでコーチをしていたといっても、 福祉に詳しいわけでもありませんでしたし、 点字に至っては 「規則性のあるブツブツ」 といった程度でした。 そんな私が今こうして在るのは、 お世話になった大学の職員の方々や多くの友人たちと出会えたからですし、 花園大学に入学していなければその出会いもなかったかもしれません。 これが 「縁」 があるということだろうかと、 この原稿を書きながら不思議な気持ちがしています。
これからは、 今まで以上に多くの人と出会い、 多くの物事を見聞きすることでしょう。 それら一つ一つを大切にしながら、 よい記事を書いていきたいと思っています。

「心に誓う」 兪 敏(大学院生)

私は中国から日本に留学している留学生です。 日本の文学を勉強するため、 また国際交流のため、 今から 6年前に日本へ来ました。 この長い留学生活の間に、 辛酸苦楽を経験していますが、 これも人生のひとつだと思っています。 大学に入り、 さまざまな人々と出会い、 日本の風俗習慣を学び、 風土人情に触れ、 悠久な歴史文化の足跡を実感し、 その中で優しい人間関係を感じ、 知識を学びました。
世界にはさまざまな国があり、 その数だけ文化があります。 私は、 この 6年間で少しは他国の文化を理解できるようになりました。 これは大きな収穫だと思っています。
私は学部から大学院に進学し、 日本の文学の勉強を続けています。 中日文化交流を広げるために、 精一杯頑張りたいと考えています。
ある日、 母国へ帰って、 日本で積み重ねた知識と体験を生かして、 国際交流に貢献したいと考えております。 自分には無限の可能性があることを信じて、 新しい自分を発見しつづけていきたいと思っています。

「三十而立にして思うこと」高安 功訓 (京都府立城南高校常勤講師(2000年書道コース卒業生))

花園大学を卒業し、 早いもので 5年目を迎えます。 書道を専門的に学ぶため花園に入学し、 現在は公立高校の書道常勤講師として勤務しています。
この 5月に初の個展を開催しました。 今年は京都在住10年目、 三十而立、 また尊敬する文人呉昌碩生誕 160年に当たる年、 何かしたい、 やらなければという思いからの開催でした。 毎日の授業に追われる中、 いざ個展となると思うように作品制作には挑めませんでした。 しかし、 生徒の使う教科書がヒントになり、 これでもかと、 創作意欲が湧き上がってきます。 高校の教科書は書道を学ぶ上で大事な基礎となる古典ばかりです。 展覧会活動に籍を置いていなかった学生時代、 流行の書風ばかりでなく徹底的に基礎古典を講義で教授頂いた賜物であると感謝しています。 現在の後輩諸君、 楷書がきちんと書けますか?行書の基本は?大学ではこれらをいかに掘り下げていくのかが学書の課題であると思います。
私の学生時代はある意味、 恵まれていたと思います。 書道関係の書籍はお金がかかるのですが、 必要なものはできるだけ揃えてきました。 毎年の古書市は常連です。 コピーで済まそうという考えは一切ありませんでした。 この一ページのために!で、 購入した書籍も今は山となっています。
また、 在学中に恩師との出会いがなければ、 中国に目を向けるということもなかったでしょう。 「本物を見ないと話にならない」 の言葉が私を中国へと誘いました。 2回生の 2月から毎年訪中することが、 年中行事になりました。 本物を見ることの大切さもこの頃身につき、 在学中に中国への語学留学も果たしました。
花園大学には 6年ほど在学しましたが、 学生生活の中で、 良き師、 先輩、 兄弟のように付き合える朋友との出会いがありました。 今の自分がこうして教壇に立ち、 生活できているのは、 色々な人達に支えられ生かされてきた御陰と、 強く思う今日この頃です。

「お客様は 「神様」 か?」 佐々木 雅一(本学教務課職員)

花園大学の事務職員として奉職してから10年が過ぎた。 そんなに経ったのかと思う一方、 時々腰が痛くなったり、 椅子に腰掛ける毎に 「よいしょ」 と言うようになったことを思うと 「自分もオジサンだなぁ」 と感じざるを得ない。  さて、 本稿執筆の依頼をお受けして以来、 何を書けばよいか見当がつかず困惑していたのであるが、 丁度いいネタができたのでそれに触れたいと思う。
つい先日、 デパートの旅行代理店カウンターでチケットの購入手続をしていたところ、 少し離れた別の窓口に、 五〇代でやや 「お金持ち風」 の婦人がやってきた。 そして、 「あそこでお金を振り込みしたいんやけど、 何もでけへんの。 どないしたらええのん!」
銀行のATMがうまく作動しないことへのクレームなのだが、 申し出る場所が間違っていることに気づいていない。 代理店員も困惑してしまい、 「どうしてもできませんか?」 と尋ねると 「でけへんから言うてるんやないの!」 と怒鳴り出す始末。 そして続けざまに 「アンタねぇ、 私 『お客さん』 なんよ! ちゃんと教えてくれてもええやないの!」 などと二言三言吐き捨て、 プイっとATMの方に言ってしまった。 これで収まったかと思うと、 遠くでまた婦人の怒鳴り声が聞こえてきた。 本当に困ったものだ。
「お客様は神様です」 は既に他界された歌手の有名な決まり文句である。 確かにお客様に来てもらわないと商売は成立しないのであるが、 客にもモラルがなくてはならない。 自分のやっている事は棚に上げて、 クレームを押しつけるのは筋が違う。 「モラルの低下」 は若年層に限ったことではない。 「何が常識か」 を一人一人がもっと考えるべきではないだろうか。
大学にとって学生は 「お客様」 である。 しかし、 学生はサービスを受けるだけが仕事ではない。 今の若者は 「自分のことを自分でする」 という意識が低くなっている。 例えば掲示板は自分で見て確認してほしい。 最初から 「窓口で聞けばわかる」 では困る。
もちろん、 大学生活や学修におけるサポートは今まで以上に必要だと認識している。 社会に出て立派に通用する、 そんなオトナになってほしいという願いから、 ちょこっと小言を付け足したまでである。

「童子を詠んだ歌人」 濱田 啓介(本学教授)

良寛や曙覧の歌は周知の事である。 ここに紹介するのは、 もう一人の歌人黒沢翁満(くろさわおきなまろ) (寛政七~安政六) の作品についてである。
春の野に少女ぞ遊ぶ豆の葉や麦の笛やともてはやしつゝ
竹の子の生ぶる垣根を尋ねつゝわらはへきそふ夏はきたけり
彼は春景も夏の季節も少年少女の遊びにおいて把えた。 歌は当時作り方が大方定まっていて、 題材には古来の伝統があった。 わらは・わらはへ (児童) というのは、 その伝統の外のものであり、 それを詠むのには、 古歌の知識は役に立たず、 自分の体験においてしなければならない。 それ故、 これらの歌は、 実感的であり、 又当時の歌として、 極めて新鮮なのである。
翁満は童心になり代って、 童心を詠むことはしない。 それでは童心を推量する事であり、 童心を演ずる事になる。 翁満は児童とふれ会う人であり、 児童を見守る人である。
ふくつけくわらは心に摘みためてはては何せん道のすみれを
若葉せし木陰に寄りて遊ばなん日なたのわらへ暑くやはなき
これ程率直に児童の遊びについて物申した歌人は無い筈である。 それは、 飽くことなく愛のまなざしで児童の遊びを見続けている歌人の心から生れる。 みやびとか幽玄とかという伝統的歌美とは全く異質の詩心である。 むしろ、 詩美としては未だ洗練を欠いていて、 さながら、 子供に対しての常識的平凡な感想ではないかと言われそうである。 しかしこの率直な所見・所感表明は、 近代短歌成立への道筋である、 写生主義に極めて接近した第一歩なのであった。
翁満は、 草木の姿の背後にも、 子供たちの姿を連想する。
いつのまにわらべが群に抜かれけん薄くなりぬる垣の竹の子
冬の、 氷・雪・霞こそ、 それに近づき、 手にとって遊ぶのは、 わらべたちなのだ。 伝統的な歌人は、 氷には鏡を、 雪には散る花を連想した、 翁満はそのような歌を作らない。 氷にも雪にも見えてくるのは、 氷雪を喜び遊ぶわらべたちの姿なのである。
わらはべの冬の遊びの厚氷などもて出て道よごすらむ
わらはべがつぶての石もまろび合いて氷の上に閉ぢられにけり
わらべどもあやふげもなく渡る也池の氷を通ひ路にして
わらはべが受けつこぼしつきそへども袖も濡れあへぬ玉霰哉
いさゝかも雪の混れば時雨をも目さとに児等がいひはやすなり
わらはへは寒さにいたむ雪やけに息も吹きあへず門遊びして

教員消息

山崎 國紀教授は2004(平成16)年 3月末をもって退職され、 名誉教授となられた。
中島 利仁名誉教授が、2004(平成16)年 5月23日逝去されました。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
浅子逸男教授。 文学部長に就任された。 4月 1日から 2年間。

2004年度 花園大学国文学会・大会のお知らせ

花園大学国文学会・研究発表会

日時 2004(平成16)年 6月27日 (日) 13時~
会場 無聖館ホール ( 5階)
発表者
「古代文学に見られるユツカツラの意味」  本学大学院修了生 下川  新
「『玉葉』 に見える二条院讃岐像」  本学大学院生 伊佐 迪子
「呉昌碩の刻印について」  京都府立城南高校常勤講師 高安 功訓
「映画に於ける 「未完成」 の問題 ~テリー・ギリアムと 『ロスト・イン・ラ・マンチャ』 よりの一試論~」  本学講師 福原 正行

花園大学国文学会・公開講演会

日時 2004(平成16)年 7月18日 (日) 13時~
会場 無聖館ホール ( 5階)
講演者
「近世小説におけるロマンスの問題」  本学教授 濱田 啓介
「時代劇 (テレビ・映画) の江戸時代認識」  本学大学院生 伊佐 迪子
「呉昌碩の刻印について」 本学非常勤講師 (必殺シリーズプロデューサー)朝日放送顧問 山内 久司

夏目房之介先生 マンガ講座 (公開)

日時 2004(平成16)年 7月31日 (土) 12時40分~14時20分
会場 無聖館ホール ( 5階)

『花園大学国文学論究』 第31号

(2003(平成15)年12月刊行/頒価 500円)

  • 「「虫めづる姫君」 の再検討 姫君の服装を通して」  玉井 絵美子
  • 「古本説話集下巻 本文と注釈 第五〇話・五十七話」 新間 水緒
  • 「谷崎潤一郎「鴨東綺譚」 と 「夢の浮橋」京都を描くということ」」 福田 博則
  • 愛贈図書目録(2003(平成14). 9~2004(平成15). 8)