


『建学の精神と禅的人間教育』
-己事究明(こじきゅうめい)-
自己追究と回光返照(えこうへんしょう)

すべてに何ものにも侵されるはずのない生命があり、尊さがあり、光りがある。 果たして真にそれが見え、それを知り、それに身も心も尽くしているのか・・・。 現実社会における自己のあり方を常に問い続け、新しいいのちに生きる希望と勇気と力を培う。
私たちは一瞬たりとも過去や形骸化された概念や自己に閉じこもること、いきとしいけるものの「いのち」と「尊厳」を軽んじ看ることが許されるものではありません。それなのに何故にその努力への道を見失うのでしょう。また、高度な文明を誇り崇高な理念と敬虔なる宗教的精神を謳いながら、個々の苦しみや痛みを顧みず、正義という名の下に箇々の光りを打ち消し続けた歴史と歩みを知っています。
本学は建学の精神として臨済禅―「自己追究という姿勢の実践」―を標榜し、「回光返照」を学風とし、常に「今、ここ、わたし」を問い続けてきました。 「たった今、私は如何なるものなのか、私に何が出来るのか、私は何を為すべきなのか」。一人ひとりが生涯をかけて、自己の生きる真実の道を問いつづけるのであります。
それは個々の努力では決して改善することが出来ない事柄について他を謗ずる事は勿論、いたずらに外に向かって批判や追求を繰り返すこと無く、自己の奢りにも堕らず、おのずから具えられた大いなる「いのち」を明らかにし、円満なる人間性を確信することにより、自己自身が光り輝く人間となって、「いたわり」、「思いやり」、あるいは「社会貢献や奉仕」などの周囲に具体的なかたちとして照り返していくものでありましょう。
禅における教育とは古来よく真の達人「一箇半箇」を打出するためにあると云われるのでありますが、それは、かえって吾人がこの人間社会の幸福に真に資すべき「一箇」たるのか、否かを問い続けることとして展開すべきはずなのです。
この自己の尊厳と人間への理解と人間らしさの社会での実践、社会の確かな認識と理解、奉仕と貢献という利他の精神を身につけた人間になる教育を学風として、単に自己を究めるというプロセスや知識量の獲得に止まらぬことこそ建学の精神の己事究明の到るべき姿なのであります。
本学の創設以来堅持してきた「禅的人間教育」の精神はあくまで教育全般において自発的要求からこそ具現されるのであり、近代社会の合理主義的価値観が生み出した混乱を新たな価値体系へと導き、なんびとも浴してやまない人間社会の光りとなるよう自助努力をしていくことはもとより、みなさまの深いご理解と絶大なるご支援をお願いするものであります。